エリア紹介

新宿区へようこそ

ショッピング、文化、娯楽…。多彩な魅力を持つ新宿区は、いつもたくさんの人々でにぎわう街です。

新宿駅周辺は、繁華街や高層ビルなどが立ち並ぶ一大ショッピングエリア。

さらに少し足を延ばせば、博物館や美術館、能楽堂、神社など、
日本独特の文化を感じるスポットであふれています。

見どころ満載の新宿区で、とっておきの体験があなたを待っています。

新宿区DATA

※1
2023年1月1日現在「新宿区をデータで紹介」
※2
2021年度実績(JR東日本・私鉄各社・東京地下鉄・東京都交通局)
※3
2023年4月現在
※4
2016年6月1日現在「平成28年経済センサス活動調査」
※5
2019年東京都「国・地域別外国人旅行者行動特性調査」

新宿区のロケーション

新宿区は、日本の首都・東京都に23ある特別区のひとつです。

23区のほぼ中央に位置し、都庁の所在地でもあります。

新宿駅までのアクセス

羽田空港、成田空港、東京駅から新宿駅までは、電車やバスのご利用が便利です。

東京国際空港(羽田空港)から新宿駅まで
新宿駅まで、電車もバスも約40分で到着します。
※交通状況によって到着時間が前後します

電車を利用して新宿駅へ

交通機関
ルート
所要時間
  • モノレール/JR
  • 羽田空港→浜松町駅→新宿駅
  • 約36分
  • 京急電鉄/JR
  • 羽田空港→品川駅→新宿駅
  • 約46分

バスを利用して新宿駅へ

交通機関
ルート
所要時間
  • バス
  • 羽田空港→新宿駅
  • 約35-75分
成田国際空港から新宿駅まで
成田空港からは、電車なら1時間ほど、バスでは1時間半ほどで到着します。
※交通状況によって到着時間が前後します

電車を利用して新宿駅へ

交通機関
ルート
所要時間
  • スカイライナー/JR山手線
  • 成田空港→日暮里駅→新宿駅
  • 約60分
  • 成田スカイアクセス/JR山手線
  • 成田空港→日暮里駅→新宿駅
  • 約70分
  • 京成線/JR山手線
  • 成田空港→日暮里駅→新宿駅
  • 約100分
  • JR成田エクスプレス
  • 成田空港→新宿駅
  • 約80分

バスを利用して新宿駅へ

交通機関
ルート
所要時間
  • バス
  • 成田空港→新宿駅西口
  • 約85-145分

新宿区の主なエリア

見どころ満載の新宿区を5つのエリアに分けてご紹介します。

新宿駅周辺エリア

最新と伝統が共存するにぎわいの街
世界一の乗降客を誇る新宿駅周辺は、高さ100mを超える超高層ビルが林立する代表的なビジネス街や、個性的な飲食店等がひしめく歌舞伎町、デパート群や大型商店が立ち並ぶ活気あるショッピング・ゾーン、少し足を延ばせば静寂な風景式庭園の新宿御苑等さまざまな魅力をもっています。また、伝統ある神社仏閣等が点在しており、時代や文化の面影をたどる道しるべとなっています。

四谷エリア

今もなお残る江戸時代の歴史と文化
四谷は、江戸城建設とともに見附門が配置され、以後大木戸に玉川上水分岐点が設けられ、多数の武家屋敷と移転した神社の門前町、街道沿いの商家、宿駅内藤新宿を合わせて、広さの割に人口の多い街となりました。現在は、甲州街道の拡幅に伴って、近代的なビル街に生まれ変わりましたが、今日なお老舗が多く、また、たくさんの史跡が存在し、桜並木や堀の美しい風景が続くなど、散策が楽しみな街並みとなっています。

神楽坂エリア

古くからの情緒を残す粋な街並み
神楽坂は、明治後期・大正時代に東京の主な繁華街のひとつとして山手銀座と呼ばれていました。特に、善国寺毘沙門天は民衆の信仰が厚く、神楽坂が門前町として栄えた由縁となっています。また、地形的に坂の多い町並みが特色になっており、さまざまな由来の坂道があります。昔が偲ばれる石畳の舗装が随所に施されており、細い路地を入ると黒板塀が続き、中から三味線の音色が響いてくることもあります。多くの文化人のゆかりの地でもある神楽坂には、かつての風情を求め、多くの人が訪れています。

高田馬場・早稲田・大久保エリア

学生文化と国際色豊かな活気にあふれる街
高田馬場駅周辺は、早稲田大学をはじめ、専門学校や各種学校等が数多く立地し、ここに通う学生たちが街に活気を与えています。ここは、明治の初期までは一面の雑草地で、江戸時代には旗本たちの馬術の練習の場であり、将軍の鷹狩りの場所でした。現在でも、流鏑馬が行われ、堀部安兵衛の助太刀の碑が残っているなど、新しい文化と歴史の探索が共に味わえる場所です。また、JR中央線の大久保駅、JR山手線の新大久保駅と交差する大久保通りに、国際色豊かな商店が軒を連ねにぎわっています。

落合エリア

文化人が愛した花と緑豊かな下町
かつて江戸近郊の農村であった落合周辺は、明治時代に入ると郊外の風景を残しつつも次第に宅地として開発されていきました。大正時代、高級住宅地「目白文化村」として分譲が開始されると、静かな環境や魅力ある風景を求め、多くの芸術家や文化人が移り住みました。現在でも、当時のままの高級住宅地として残るところがあり、モダンな家並みが続いています。もともと住居地として適していたこの地は、縄文・弥生時代のころの住居跡が密集して発見され、落合遺跡が復元されています。
一般社団法人新宿観光振興協会
© Shinjuku Convention & Visitors Bureau

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