おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
歌人・書人・美術史家として知られる會津八一(1881年~1956年)が、昭和10年(1935年)7月に近くの「目白文化村」に転居するまで…
自証院は、寛永17年(1640年)、尾張藩主徳川光友の夫人・千代姫の母、自証院を供養するために創建された寺です。最初は日蓮宗「本理山…
日蓮宗。八の日が縁日で、戦前までは四谷の毘沙門様として賑わいをみせていました。毘沙門堂の建築年代は言い伝えによると元禄頃とされているが明…
民俗学者柳田國男(1875~1962)が、明治34年(1901)から27年間を過ごした場所です。この地において、柳田は民俗学への関心を深…
漱石は、明治38年(1905年)から翌年4月にかけて「ホトトギス」に連載した「吾輩は猫である」によって文豪として名を馳せるようになり、東…
吉田松陰らに影響を与えた尊王思想家、山県大弐の墓があります。 山県大弐は、江戸時代の経世家、儒学者である。享保10年(1725)に甲斐…
江戸時代までは「鎧大明神」と称しました。「鎧」の社名は、伝説によると日本武尊命が東征してきた際に、この地に甲冑六具を納めたことによるも…
国指定重要文化財である『学習院旧正門』は、明治10年当時、神田錦町にあった華族学校(現学習院)の正門として建てられたものです。明治19年…
画材と額縁の専門店です。全5フロアに、絵具やキャンバス、デザイン用品、製図用品などの画材アイテムが揃っています。プロの画家やマンガ家ご用…
銀行員として渡仏していた永井荷風が、明治41年に帰国して大正7年築地に移るまでの約10年間を過ごした地。慶応大学教授として教鞭をとるかた…
昭和3年(1928年)に再建された慰霊碑で、日露戦争で内藤新宿町から出征した方の名前が記されています。出征していく兵士や家族の心情、絆を…
明治7年(1874)に陸軍用地となり射撃の練習場が設置されました。その後、流れ弾による負傷者が出たため、コンクリート製のトンネル式射撃練…
東京理科大学の前身、東京物理学校の木造校舎を復元しました。明治時代の建築物の美しさが伝わってきます。館内には、昔のそろばん、手動計算機な…
氷川神社の創立は第五代孝昭天皇の御代(今より二千四百年前)とも、さらに上古ともいわれ、明らかではありません。本殿には素盞嗚命(スサノオノ…
もとは、新宿西口の「新宿エルタワービル」付近にありましたが、現在は蓋をされて、同ビル西南隅の植栽にモニュメントが建てられています。 こ…
早稲田~三ノ輪間の約12.2kmを、およそ53分で運行する都電荒川線。明治44年(1911)に開通し、現在、東京都に唯一残る路面電車です…
日蓮宗の寺院で、天正13年(1585年)に日立上人によって創建されました。寺の前庭の植込みに見える石碑には、狂歌師便々館湖鯉鮒の「三度た…
鎧神社の氏子組織巴講睦が所有する雌雄一対の唐獅子図です。大正7年(1918)に柏木(北新宿)に住んだ日本画家山内多門が描いたものです。……
都心を流れる川の護岸に、江戸の紋様が浮き彫りに──。新宿区に残る伝統産業「染色」にちなんで、かつて反物の糊を落とした妙正寺川の護岸に、七宝や…
浄土宗・西迎寺ははじめ江戸城中の紅葉山にありましたが、寛永12年(1635)に現在の地に移りました。 境内には銅造の阿弥陀如来座像…