(写真左)太宰 治 提供:弘前市立郷土文学館/(写真右)芥川 龍之介 提供:藤沢市文書館
芥川龍之介(1892-1927)が数多くの代表作を執筆した田端。芥川に焦がれながらその生涯を小説に捧げた太宰治(1909-1948)の創作の地、三鷹。また、両作家の早熟な学生時代に拠点となった新宿。2022年、芥川の生誕130年を機に、芥川と太宰のゆかりの地にある文化施設が手を携え、協働企画展示を開催します。
芥川は第一高等学校入学後の18歳から東京帝国大学二年に進級する22歳まで、実父新原敏三が営む牧場(現新宿2丁目)脇にあった実父の持家で過ごしました。この間、文壇デビューの契機となる「新思潮」を同志たちと創刊し研鑽を積みました。新宿は、芥川が文学修業に励んだ地と言えます。
新宿の次に移り住んだのは、田端(現田端1丁目)です。ここから夏目漱石宅(現新宿区立漱石山房記念館)の木曜会に通い、漱石に激賞をうけ25歳で彗星のごとく文壇デビューしました。そして、流行作家となり、今日我々が親しんでいる数多くの作品を残し、足早に大正という時代を駆け抜けました。昭和に改元された7ケ月後、芥川は、田端の自宅で<ぼんやりした不安>という言葉を残して自ら命を絶ち、社会に強烈な衝撃を与えました。享年35歳。
芥川に思慕し、作家志望だった太宰。芥川の死に衝撃を受けたのは18歳、官立弘前高等学校に通う学生でした。東京帝国大学進学を機に上京し、「常盤館」(現高田馬場1丁目)に下宿しますが、非合法活動のアジトとなり、居を転々としながら不安定な学生生活を送ります。
結婚して三鷹(現下連雀2丁目)に家を借りてからは一度も転居することなく、家族との生活によって精神的安定を得、作風にも明るさを取り戻しました。晩年作ばかりが注目される太宰ですが、創作が阻まれる戦中にこそ手を緩めず作品を書き連ねたことは、文学界における大きな功績と言えます。戦後は朝日新聞で連載を確約されるまでの流行作家となりますが、玉川上水に入水し絶命。時代の寵児が告げた突然の別れは、芥川と同様に衝撃的な最期となりました。享年38歳。
芥川龍之介の生誕日(3月1日)から命日の「河童忌(かっぱき)」(7月24日)の間に、太宰治の「桜桃忌(おうとうき)」(6月19日)があるこの期間中、☆河童忌・桜桃忌スタンプラリー★を実施します。
期間:3月1日~7月24日 ※太宰治展示室は3月8日より
景品:各館でスタンプを押した方に記念品(各施設でデザインが異なります)を、さらに、全3館のスタンプを集めた方には特別な栞をプレゼント。※スタンプラリーの台紙は各館受付にて無料配布いたします。栞は各種先着1000名。
令和4年3月1日(火)~7月24日(日) ※三鷹会場は3月8日(火)~
9:30~17:30(入館は17:00まで)
第2、第4月曜(月曜日が休日の場合は開館し、その翌平日休館)
<新宿会場>
新宿歴史博物館 1階れきはくギャラリー・常設展示室
〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町12-16
【アクセス】
JR中央線・総武線、東京メトロ南北線「四ツ谷駅」より徒歩10分
東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目駅」出口4より徒歩8分
都営地下鉄新宿線「曙橋駅」A-4出口より徒歩8分
アクセス詳細はこちらをご覧ください→新宿区立新宿歴史博物館 利用案内ページ
<田端会場>
田端文士村記念館 常設展示スペース
〒114-0014 北区田端6-1-2
<三鷹会場>
〒181-0013 東京都三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5階
常設展観覧料 一般300円 小・中学生100円
新宿歴史博物館 03-3359-2131
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