おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
長厳寺に伝わる120件の古文書で、年代は寛文8年(1668)から昭和16年(1941)に渡ります。寺の歴史や境内に関する資料のほか、江戸…
昭和3年(1928年)に再建された慰霊碑で、日露戦争で内藤新宿町から出征した方の名前が記されています。出征していく兵士や家族の心情、絆を…
嘉永5年(1852年)、鈴木主水と内藤新宿橋本屋の遊女白糸との情死話を基にした芝居が大成功したお礼として、歌舞伎役者・二代目坂東秀花が成…
区内では数少ない江戸時代の建築で、全体に過度な装飾をさけ、重厚な門構えをみせています。構造や形式、門に掲げられています扁額(へんがく)の…
大正11年(1922年)に陸軍士官学校馬術教官部の教官と馬丁が、飼育していました軍馬の供養のために建てた慰霊碑です。土中にはたてがみを埋…
寛政2年(1790年)に鋳造された高さ124㎝、口径68㎝の銅造の梵鐘(釣鐘)です。江戸時代後期の鋳物師・西村政時の作で、梵鐘に刻まれた…
江戸以来の横丁名が今でも数多く残る四谷。この地で10世代以上続く家もあり、また、有名人がこっそり通う老舗や名店も多く存在します。 江戸…
三大将軍徳川家光の命で造られ、現在は牛込見附(飯田橋)から赤坂見附の間が国指定史跡となっています。 春は咲き誇る桜を、秋は紅葉を堪能で…
神楽坂エリアのほぼ中央を南北に通る全長約1.2kmの通りです。明治・大正時代から様々な店が集まり、現在も数多くの魅力的な店が立ち並んでい…
神楽坂で最も大きい横丁です。名称は旗本の本多対馬守の屋敷があったことに由来します。 飲食店を中心に50軒以上の店舗が立ち並ぶ横丁で、ビ…
平成23年(2011)12月に新宿区が制定した、全長約100mの通りの名称です。芸者衆の手配や稽古を行う「見番」が沿道にあることから名付…
昭和31年2月、この地で古代人の住居跡が発見された。明治大学教授後藤守一氏を団長に調査団が組織され、調査の結果、「戸山ヶ原上の台遺跡」と…
ホタルの名所として知られた、妙正寺川にかかる落合橋。神田川と妙正寺川が落ち合うので「落合」の地名に。『江戸名所図会』の「落合土橋」の項に…
江戸時代に松平摂津守の上屋敷があり、滝のあるその庭園が、明治時代は「お江戸の箱根」と呼ばれた風光明媚なまちでした。大正から昭和中期にかけ…
文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城の鎮守として、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのがはじめで、「市谷八幡」ともいいます。応神天皇・神功…
小説家・随筆家小泉八雲(1850~1904)が晩年に居住し、亡くなった場所。明治29年(1896)9月、東京帝国大学講師に招かれ、松江…
小説家島崎藤村(1872~1943)が、明治38年5月より翌39年9月までの時期に住んだところです。信州小諸で一家をなし、執筆生活を送っ…
銀行員として渡仏していた永井荷風が、明治41年に帰国して大正7年築地に移るまでの約10年間を過ごした地。慶応大学教授として教鞭をとるかた…
『水道碑記』は、新宿通りの新宿区四谷区民センター内にある東京都指定文化財です。 ここは、江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した…
浄土宗の寺院で、正式には『明了山正受院願光寺』といい、文禄3年(1594年)に創建されました。 『奪衣婆像』は、三途の川のほとりで…